『私と貴方どこが違うんですか? 
                                  貴方も私と同じ人間です』









             耳があって鼻があって口があって、手と足が付いていて何処が違うの?
             と、不思議そうな顔をして貴女は笑っていた……。
 


             夢から覚めて震える指で涙の跡をなぞる。懐かしい温もりが静かに、私の腕の中から消えて行く。
             ――何も見えない

             森は深い霧に覆われていて今が昼なのか夜なのかも確認することが出来ない。
             ただ空虚だけが支配する世界。
            『……この夢はまだ続くのか』

             私の声は言葉にならず、冷たい空気をそっと揺らした。霧に包まれた森は幻想的で夢と現実の区別が付かない。
             遠い昔の、懐かしい記憶を思い出させるこの夢は、とても愛おしい。
             だが現実に引き戻された瞬間、その夢が牙をむいて襲い掛かかる。彼女の居ない世界に生きる意味を見出せず、
            この甘美な夢が永遠に続けば良いと願った。
             ――永久の眠りを

             閉ざされた世界を打ち破るように森が小さな声で囁く。風が私の髪を揺らし、
            深い霧を押し流して霧の割れ目から蒼い月明かりが漏れる。
             ――血で穢れた私の体

             この傷は私が犯した罪。永遠に許されることの無い罪は、癒えることの無い傷となって、
            人ならざる私の体に刻まれる。
             ――深く、深く

             右腕が足元に転がっている。辺りには黒い水溜りが出来ていた。私はそれを漠然と眺め、
            残った腕で右腕のあった場所に触れる。生暖かい液体が溢れて硬い骨が剥き出しになっている。
             強く握ると痺れたような痛みが走る。
            『私はまだ生きていたんだな……』

             遠い日に亡くした人を想い、目を瞑り天を仰ぐ。
             恋におちたのはほんの一瞬で、彼女を知るほどに好きになっていた。
             貴女はこんな私に痛いほどに優しくて、私の凍りついた心を溶かした。
             でも貴女は穢れを知らないとても清らかな人。穢れた私には、人ではない私にはあまりにも遠い。
             彼女に惹かれて止まない自分の心を封印した。
            『貴女は純粋すぎる……』

            どんなに凍てついた心でも、どんなに傷ついた体でも貴女は優しく抱きしめて、木漏れ日のような笑顔で救うだろう。
             ――それが、どれほど鋭利な刃物でも
     
            貴女が人を救うたび、自らが深く傷ついて貴女が一番辛いはずなのに、優しい花の香りを漂わせながら私に微笑む。
            貴女を傷つけさせたりしない。
             貴女の身に降りかかる悲しみは全てこの身で受け止める。私の命と引き換えにしてでも貴女を守ると夜の闇に誓った。
             ――贖罪の日

             月の光にも似た貴女の涙はとても綺麗で、紅く染まる体から温もりが消えても美しいままの貴女は、
            清らかな光を浴びていた。
             貴女の事を何も知らなかった。貴女の苦しみも悲しみも、何も知らなかった。
             一番と近くに居ると思い込んで、貴方を守っている気で居た。
             私が守られていた事にも気が付かずに……。
             私を闇の中から救い出してくれた貴女を。血で凍えていた私の身体を優しく抱きしめてくれた貴方を。
            守ることが出来なかった……。
             私は少しでも貴女の支えになっていただろうか?
             貴女に出会う前の私はどうやって生きていた?
             思い出せない。貴女の居ない世界に生きる意味が見つからない。
 
             これは夢? 
             優しい貴方の居るこの世界は幻?
             夢で終わらせるなんて……出来ない
             この夢は……残酷すぎる。




             頬に冷たい雫が落ちる。目を開けると大樹が泣いていた。優しい涙。
             色の無い世界で過ごした贖罪の日々。私はもう動けない。遠くに、微かだが鐘の音が聞こえる。
             私の手に残された唯一の【救い】。遠い日に亡くした彼女の欠片。






                 
    『貴女が私を人間だと言った。
                                ならば私は人間……なのだろう……』

 






              魂が体を脱ぎ捨て新たな調べを奏でる。