そう思うと急に恐ろしくなり彼の腕にしがみ付く。彼は無言のままそんな私を優しく受け入れてくれた。
         「愛しています」

          私は何も言わずにただ小さく頷いて答える。
          私も彼も無言のまま鐘の音が鳴り響くのを聞いている。そして最後の鐘の音が鳴り止み辺りは静寂に包まれる。
         「知っていましたか?」

          私は首をかしげて彼を見上げる。彼は少し恥ずかしそうに少年のような無邪気な笑顔をして私を見つめ返していた。
         「今の鐘の音が鳴り止んだら私の勤務時間は終了なんです」

         「えっ?」

          久しく言葉を発する事を忘れていたためか声が裏返ってしまい長い廊下が私の声の真似する。
         「私の勤務時間はこれで終了。 これでようやく気兼ねなく話ができます」

          いつもの優雅な笑顔ではない少年のような無邪気で自然な笑顔。普段は絶対に見せる事のない彼の素の笑顔。
         「…………いきなり、は驚かせすぎたかな? でも君には本当の俺を知っていてほしいと思ったんです」

          よほど酷い顔をしていたようで彼は少し後悔を滲ませた表情で私の髪を撫でる。
       「そのっ、いつも勤務時間にしか会っていませんし、ぁ口調はあまり変わらないんですが、それに告白してから気が付いて、それで……」

          少し安心した。雰囲気少し違っても彼は彼。優しくて、暖かくて、ちょっと意地悪で、不器用で、おっちょこちょいな彼。
          いつも完璧な人だと思っていたから、私とは釣り合わない遠い人だと思えて悲しかった。
         「…………やっぱりいつもの俺じゃないとダメ、ですよ、ね」

          けれど今、目の前にしている彼が
         「そ、それはそうですね。 君を騙していた、ようなもの、だし……っ!」




                                        今の私の全て。




          私は短い子供の手で彼の首に手を回して力いっぱい引き寄せる。初めて触れる唇の柔らかい感触に
         頬が火照り恥ずかしさのあまりすぐに彼から遠ざかる。
         「ゎ、私は部屋に戻るわ!」

          気まずい沈黙に耐えられなくなって身動き一つしない彼をその場に残して歩き出す。
         「こんなのは、ちょっとずるいな」

          私は彼に腕を捕まれて抵抗する間もなく唇が塞がれる。私は恥ずかしさと息が苦しいのとで
         彼の腕の中で激しく抵抗する。しかし彼の力は思っていたより強く、びくともしない。それどころか
         抵抗すればするほど深く唇を重ねられて身動きが出来なくなる。
         「な、ぁ、なっに、を……っ!」

          ようやく解放された私は彼を睨み付けて恨み言の一つでも浴びせようとしたが途端に
         体がふわりと宙に舞い彼に抱きかかえられていた。
         「部屋に戻るんですよね? このまま送ります」

          『このまま』をやけに強調しながらそう言う彼の笑顔は少し黒い物が見え隠れしているような気がした。
          けど私は一瞬、彼の優しさと温もりに負けて全てを許してしまおうかと思った。
         「ぃ、いやぁあああ! 離して!! 離してってば!! 離せ〜〜!!」

          このまま彼のペースに飲まれれば確実に悪い方向へ物事が進む。それだけは絶対に阻止しようと必死に抵抗する。
         「あんまり暴れると落としますよ? しっかり捕まって、ね?」

         「なっ! 私の命令が聞けないって言うの!」

         「今は勤務時間外です」

          以前にも覚えがあるようなやり取りを繰り広げながらも長い廊下を歩く音だけが夜の闇に響き渡り、夜が更ける。






          それから月日は流れる。
          相変わらず私の時は止まったままで毎日をひっそりと過ごしている。
          私たちの時の流れは違うけれど、彼はいつでもありのままの私を優しく包み込んでくれる。
          そして、少し強引で意地悪な彼と今まで以上に幸せな日々が過ぎてゆく。
          ただその夜以来、紅い薔薇が贈られてくる事がなくなった。贈り主の事もマントの事
         も結局全て謎のまま、いつしか私はマントの存在を忘れ去り、それでも月日は流れる。










              ――私だけを置き去りにして。