―魔城―
         「ぐぅぉおおぉぉおぉおおぉおおおっ」

          アスタロトはノルンを手中に収め、彼女の魔力を吸い上げ魔獣と化していた
          城の兵たちも次々アスタロトに魂を啜られ、ゾンビと化してゆく
          その中心アスタロトの傍らに一人金髪の女性がいる
          彼女はアスタロトの腹心で常に感づかれぬよう
          シオンとヴァンス、二人の行動を見張り報告していた
         「・・・アスタロト様、二人がお帰りになられましたよ」

          遥か遠く、紅い月明かりに照らされている二つの影が見える
          それを確認したアスタロトは微笑み、黒い羽を広げて闇夜を裂くように飛ぶ
         「っ・・アスタロト!」

          その声に低いうなり声で答える手にはノルンの姿
          魔力を吸われたためか気を失っている
          それを確認すると二人は怯えている天馬を乗り捨て上空でアスタロトと対峙する
          金髪の女性がアスタロトの隣に現れる
         「お前、は・・ロベ、リア・・?」

          ロベリアと呼ばれた女性は頷く
         「何のつもりだっ・・貴様何を知っているっ!」
         「私に意思はございません・・全てはアスタロト様のご意思・・」

          その言葉に二人はアスタロトを睨み付ける
         「崇めよ・・新たな生命・・捧げよ・・魂・・最強の肉体・・死の・・無い肉体・・」

          うなり声のような声で呪文を唱えるかのように同じ事を何度も繰り返していた
          その瞳は邪悪な力に取り憑かれ正気ではなく凄まじい野心に魂を燃やしているように見えた

         「な・・に?・・貴様は何をしたか分かって・・」
         「アスタロト様、ヌゥエが聖殿へ攻撃を始めました・・」

          ロベリアがシオンの言葉を遮る
          ヌゥエと呼ばれた存在は一気に数を増し、全てを飲み込みながら移動を始めた

          「聖殿に攻めるだと・・アスタロト貴様は我ら二人に軍を任せたのではないのかっ!」

          邪悪な笑みを浮かべ周囲が重苦しい空気に包まれる
         「・・感情・・な・・ど、不要・・」

          アスタロトの左腕に邪悪な力が渦を巻く
         「ノルン・・を、離せ」

          ヴァンスは魔法が放たれる前にアスタロトの背後に現れ剣をかざす
         「・・愚かな・・」

          ヴァンスの攻撃はかわされ、邪悪な力がヴァンスを襲い
          城の外壁に叩き落される
         「ぐっ・・ぅあ・・」
         「・・捧げよ・・魂・・」

          アスタロトはヴァンスに追い討ちをかけるように黒い炎の龍を召喚した
          龍は一瞬で城ごとヴァンスを飲み込むと今度はシオンに襲い掛かってきた
         「くっ・・アスタロトっ!」

          シオンは炎の龍を払いのけ、アスタロトに斬りかかる

            ギィィンッ

          剣はアスタロトの身を守る結界によって阻まれ、弾き返される
          シオンは龍をかわしながら距離を置き態勢を立て直し
          呪文を唱え始めた
         「・・シオン様、お覚悟を・・」

          動きを止めたシオンの背後から大きな漆黒の鎌を首にかけ風を斬る
         「・・お前、の相手は・・俺だ」

           ギィィンッ

          シオンの首が斬られる寸前にロベリアの鎌が宙を舞う
          そこには、死んだと思われていたヴァンスの姿
          ロベリアは新たに短剣を振りかざしヴァンスに斬りかかろうとする
          しかし、シオンの剣に阻まれ、再びアスタロトの横へ移動する
         「ヴァンスっ生きていたのかっ!」

          ヴァンスはその言葉を聞き流す
         「・・うかつに手を、出すな、奴は・・自身も魔道生物の、実験台、にしていた」

          シオンはその言葉に冷静さを取り戻し、体勢を立て直す
         「・・何処で・・そのことを・・?」

          アスタロトの事は城内では大きな噂になる事も無く
          二人が接触することも滅多になかった
         「・・俺たちが、死ぬ前・・だ・・」

          生前の記憶が蘇り始めたのはシオンだけではなく
          ヴァンスもまた、狂気と化す以前の父の記憶を度々夢で見ていた
          アスタロトが魔道生物の研究を始めた理由も
          ロベリアの存在理由も
         「・・先に、ロベリアを・・壊す・・そうす、ればアスタロトも・・」
         「・・分かった」

          ヴァンスの言動の一つ一つに疑問を覚えつつも剣を構えた次の瞬間
          アスタロトがヴァンスの真横に現れ、二人は一瞬にして黒炎に飲まれる
         「捧げよ魂・・」


          鋭く変化したアスタロトの左腕がヴァンスを狙う
          同時にシオンの背後に黒い鎌を持ったロベリアが烈風のごとく斬りかかる

            ガキィィン

          ヴァンスはアスタロトの攻撃をかわし、ロベリアの鎌を受け止める
          シオンは黒炎を振り払いアスタロトに斬りかかる
          紅い月が輝きを増す
          まるで血を求めているかのように・・
          四人の力が衝突する、シオンはアスタロトを食い止め
          ヴァンスはロベリアを始末しようと
          その様子を見守るかのように邪悪な力に包まれたノルンが宙に浮いている
          ノルンを包む力は徐々に彼女の力を吸い上げてアスタロトの元へ流れてゆく
          助け出そうとしても邪悪な力に阻まれ手出しが出来ない
         「・・ハッ・・はぁ・・くっ・・ぅ・・!」

          予想を遥かに上回るアスタロトの力に
          シオンは徐々に追い詰められ限界が近づいてきた

            キィィンッギンッガァン

          その間にもロベリアとヴァンスの激しい攻防が続いている
         「・・ヴァンス様・・お強くなられましたね・・」

          その言葉にヴァンスの表情が曇る
         「・・お前、が知って、いる俺は・・ジュペル・・だろ?」

            ギィィッン

          ロベリアは悲しみに満ちた表情を浮かべ鎌を振りかざす

           バキィィィンッ

          ヴァンスの瞳にロベリアの悲しげに微笑む姿が映し出された瞬間
          ロベリアは鎌を下ろしヴァンスの剣をその身に受ける
         「・・やはり私(わたくし)には・・あなた様を・・殺す・・ことな、ど・・」


          左胸部が深く傷つき彼女の内部が露わになる
          声には機械音が混じり徐々に高度が落ち始める
         「・・ロベリア・・」

          機能を停止しかけているロベリアを抱え近くの外壁に横たえる
         「・・ジュ・・ペル・・さ・・ま・・ご夕・・食・・の・・じゅ・・ザァ・・ゥン・・」

          それを最期にロベリアの機能は完全に停止した
          彼女の中には未だにジュペルと過ごした日々のデーターが残っていたかのように
         「・・ありが、とう・・」

          ヴァンスはそう告げるとシオンの元へ急ぎ飛び立つ
          全ての悲しみを終わらせるために・・




         「ぅぐっ・・かはっ・・っ」

          シオンは地面に叩きつけられ真空の刃が体中に突き刺さる
          立ち上がろうと力を込めると同時に大量の血が大地に注ぐ
         「捧げよ・・」

            ガキィン

          アスタロトの放った刃はヴァンスによって防がれる
         「はぁ・・はぁ・・おそ・・いっ」
         「・・悪かった」

          ヴァンスはシオンの傷の状態を見て思わず顔をしかめる
         「・・生には死を・・死には生を・・」

          言葉と共にアスタロトの足元から何かが現れる
         「ブレス・ベルク・・全てを飲み込め・・」

          黒く骸骨のような顔を持ち実体を持たぬ体は透け、馬のようだった
          明らかに今までの攻撃とは異なる強力なもの
         「・・見くびるなっ!まだ戦えるっ!」

          ブレス・ベルクと呼ばれた黒い物体は二人に襲い掛かる

            ズバァッザクッッ

          シオンとヴァンスの攻撃はブレス・ベルクを切り裂き
          その体は大気に黒い霧だけを残し姿を消す
          あまりのあっけ無さに気を緩めた瞬間、体中が切り刻まれるような寒気に襲われる
          次第に生気を吸い取られているかのように腕に力が入らなくなる
          アスタロトを見やるとそこには、数十体のブレス・ベルクの姿
         「・・どう・・する・・?」
         「・・・・・・・」

          シオンは無言のままブレス・ベルクとアスタロトを探るように睨みつける

         『まともに戦っては生気を吸われて勝ち目は無い・・ならばどうすれば・・?』

          思考を巡らしている間もブレス・ベルクは数を増し襲い掛かってくる
          何か弱点があるはずと様々な攻撃を試す
          炎で焼き払う、真空で切り裂く、さらには氷づけ、しかしどの攻撃も全く効果が無く
          二人は立っているだけがやっとの状態まで追い込まれる

         『・・こ・・こまで・・か・・』

          諦めかけたその時、シオンはあることに気が付く
          アスタロトが新たにブレス・ベルクを呼び出す時、翠に光る力が集中していた
          それは明らかにアスタロトの力ではない―その力の主は
         「ノルンっ!」

          彼女はアスタロトの後方の上空に浮かんでいる

         『・・そうだ、奴が直接戦いに来た時ノルンはその場に残していた』

          シオンはヴァンスに横目で合図する
          何百、何千という戦場を二人で切り抜けてきたため
          ヴァンスはその合図だけで作戦の内容を理解した

         『次に・・奴らが襲い掛かってきた時・・』

          これをしくじれば次は無いと覚悟を決め、二人は剣を構える

         「・・捧げよ・・」

         「・・希望は、まだ残、されている・・」

          ブレス・ベルクが飛び出すと同時に二手に別れ、風を切り駆け出す
          シオンは攻撃をかわしながらアスタロトの真正面から
          ヴァンスはアスタロトの側面に回りこみノルンを救出に行く
         「・・愚かな・・」


          アスタロトは邪悪な笑みをこぼし、正面のシオンを切り裂こうと左腕を振りかざす

            ドシュッッ

          斬られたのはシオンではなくアスタロト、正面のシオンは攻撃をかわし
          そのまま背後のノルンを救出に走る
         「・・ヴァンス・・っ!」

          剣はアスタロトの右肩から腹部にまで達していた
         「・・雷鳴影っ」

          ヴァンスは剣を引き抜くことなく呪文を放つ
          電撃は剣を伝いアスタロトの体内へ直接大きなダメージを与えた
          しかし、アスタロトは怯む事無くその剣を掴みヴァンスを捕らえ
          低いうなり声と共にヴァンスの背後から無数のブレス・ベルクが襲い掛かる
          もはやヴァンスに逃れる術は無い

           パァァンッ

          何かガラスのような物が弾ける音が響き渡りブレス・ベルクたちは
          跡形も無く姿を消す

         「・・これまでだ、アスタロトっ!」

          シオンの腕の中には魔力を吸われ衰弱しきっているノルンの姿
         「・・はっぁ・・ぅ・・」

          ノルンは浅く呼吸を繰り返し徐々に意識を取り戻していく
          それを確認するとヴァンスは剣を引き抜き、後ずさりし距離を置く
          アスタロトは力尽き、うなり声を上げてその場にうずくまる
         「・・がるっぐう・・ゴフォ・・・捧げよ・・」
         「・・終わり、にし、よう・・」

          ヴァンスはアスタロトにとどめを刺そうと剣を振りおろす

            ガキャァンッッ

          そこにはアスタロトの遺体ではなく、金髪の女性が横たわっている
         「っ・・ロベリア・・」

          機能を停止したはずの金髪のマリオネット、ロベリアはアスタロトを見つめる
         「・・ァス・・タ・・ロト様・・ご無事・・で・・」

          アスタロトは驚き、目を見開いて何かを呟いている
          だが小さすぎて聞きとることが出来ない

         「・・おもぃ・・だし・・て・・ァス・・タロ・・ト・・ゎたし・・たちの・・子・・を・・こう・・ふ・・くだ・・った・・日々を・・ぉ・・も・・ぃ・・ザァッザザ」

             ボォンッ

          ロベリアの体は吹き飛びバラバラになってしまった
          それを見たアスタロトの様子が変る、今までの邪悪な気配は消え
          やさしげな眼差しがロベリアに向けられている
          まるで長い呪縛から解き放たれたかのように
         「・・私は・・いったい・・っ・・ミルフェッ!」
         「ミルフェ?・・アスタロトの愛人か・・?」
         「・・俺の・・母だ・・」

          シオンは驚いてヴァンスを見る、彼は俯いて訂正を加える
         「・・ゼィノン・・の・・母・・だ・・」

          ヴァンスは深くため息をこぼし、一つの宝石を取り出す
          それを天高く掲げると眩い光に包まれ、周りを取り巻く景色が変る

          それは戦争が始まる以前、聖と魔の調和が取れ平和に暮らしていた頃
          王に就任して間もないアスタロトと妻のミルフェの幸福に包まれた姿が見える
          ミルフェのお腹の中には新たな生命が宿り誰もが二人を祝福した
          そんな中事件は起きる、ミルフェが何者かに襲われ重傷を負ってしまう
          あらゆる手を尽くしたが彼女の命は終わりを迎えようとしていた
          せめて、お腹の子供だけでもとアスタロトは自らミルフェの腹を裂き子供を取り上げる
         「・・ミルフェ・・私たちの子供は・・元気だ・・男の子・・だぞ・・?」

          月明かりに映し出されているのは血だらけで絶命しているミルフェ
          アスタロトの腕の中には生まれたばかりの子供が産声を上げている
          紅い月に照らし出されたアスタロトは涙を流しミルフェの死を嘆く
          その後ミルフェを襲った輩を処刑、息子を【ジュペル】と名づけ大切に育てていく
          だがアスタロトはミルフェの存在を忘れることが出来ず何とかして生き返らせようと
          研究室を作り既に劣化が進んでいた彼女の遺体にメスを入れ
          死者蘇生の研究を始める
          しかし研究のため使用された力は暴走、ミルフェの体は魔物と化す
          アスタロトは悲痛に叫びながら魔物と化したミルフェを自らの手で殺害
         「・・パァ〜パ?」

          その様子を幼かったゼィノンが目撃それをきにアスタロトの精神は狂い始める
          後に作り出されたのがミルフェと瓜二つのマリオネット【ロベリア】だった
          だが感情は乏しく何事にも事務的でミルフェと同じなのは外見のみ
          アスタロトは全てに絶望し、まだ幼いジュペルをロベリアに任せ
          研究室に篭りあらゆる研究を進めて行った

          そんな状態が十数年間続きアスタロトは新たな后【ティーヌ】を迎えていた
          しかしそれは愛情など無い形だけの夫婦
          次第に光の神々と意見のすれ違いが生じるようになり
          そんな時事件は起きる、アスタロトが光の王【ブリューナ】の妻を殺害し
          息子たちの目の前で遺体をバラバラに引き裂き
          止めに入ったゼィノンに軽傷を負わせる
          始めは小さな傷だった、そこに毒が擦り込まれ
          痛みから逃れるように自ら傷口を広げ、そしてまた痛みに狂う
          繰り返される苦痛が後に魔道生物という大罪を犯すきっかけとなる


                  全てはミルフェを愛するが故の悲劇・・・



          再び光に包まれ、現実に引き戻される
          ノルンはぼんやりとした意識の中で見た悲劇にシオンの腕の中で涙を流していた
          ヴァンスの目の前には壊れたロベリアをミルフェと疑わない男が一人
          大量の血を流し涙に溺れている
         「・・哀れな・・男だ・・」

          ヴァンスはゆっくりとアスタロトに近づいて行く
          すると天空が金色(こんじき)に輝く、三人が空を見上げると深手を負った
          ブリューナがたった一人で現れる、背後からはヌゥエたちがしつこく追い回す
          ブリューナはシオンの腕の中に居るノルンに気が付く
          ノルンはとても複雑そうな表情を浮かべブリューナを見つめる
         「・・ブリューナ様・・っ」

          ブリューナは背後にいたヌゥエに翼を引き裂かれ、ノルンたちのいる雲に落下する
          上空で軍をなすヌゥエたちで埋め尽くされ空は暗黒に染まっていた
          ノルンがブリューナの元へ駆け寄る
         「ノル・・ン・・この者たちは・・?」
         「味方・・のような者です」

          ブリューナは状況を把握しようと辺りを警戒しながらノルンに目を戻す
         「・・あれの中に・・ゼィノンが居るのか・・?」

          シオンはその言葉にブリューナから目を逸らしヴァンスを見る
          ヴァンスはまだ余力があるのかヌゥエがこれ以上近づけないように結界を張っていた
         「・・いいえブリューナ様あの中にゼィノン・・様はいません・・」

          二人はその言葉に驚きノルンを振り返る、一瞬シオンとノルンの目が合う
          ノルンはすぐに目線をブリューナに戻す
         「・・彼・・ゼィノンは・・生きて・・いますから・・」

          シオンは思わず息を止め、ノルンとブリューナのやり取りを見守る
         「そぅ・・か・・生き・・て・・」

          ノルンは力尽きようとしているブリューナの手を握り締める
          そんな三人のやり取りを見てヴァンスは深いため息を漏らして目を逸らす
          その時、邪悪な力が渦を巻き辺りを包み込む
          二人はすぐに剣を手に身構え、ブリューナもノルンの手を借りて立ち上がる
          しかしアスタロトは彼らには見向きもしない
         「・・消えよう? こんな世界・・必要ない・・全て・・消してしまおう・・」

          すると、二人が身に着けていた腕輪に亀裂が走る

            ピシッ・・ピキキ・・パキィィンッ

          ガラスが弾けるような軽い音と共に水晶の腕輪が砕け散る
          瞬間、二人の身に内に眠っていた力が解放される
         「・・なにっ・・・くっ・・ぐぁっああああああ」
         「ぅっ・・ぐぁっ・・ぅうっ・・」

          開放された力はたちまち暴走を始める
          ヴァンスが張っていた結界は砕け
          無数のヌゥエたちがブリューナとノルンに襲い掛かる
         「・・丁度いい最近暴れたりなかったんだ・・派手に行くぞっ!」

          そう言うとノルンはブリューナの元を離れ呪文を唱える
          ブリューナも立ち上がり応戦する
          しかし、ヌゥエたちの勢いは留まる事無くノルンとブリューナでは
          抑えきることが出来ず次第に追い込まれてゆく
         「・・はぁ・・っ・・うああっぐ・・」

             ゴゥオォォォォッ

          それはノルンが放った物ではない、蒼黒い炎がノルンの近くに居たヌゥエを焼き払う
         「っ・・ヴァンス・・」

          ヴァンスは何とか力を押さえ込み荒く呼吸をしながら
          ノルンの傍に寄りヌゥエを焼き払う
          するとノルンはある異変に気が付き、驚いてヴァンスを見る
         「・・たい・・した・・事・・無い・・」

          暴走した力が左腕を浸食して黒く魔物のように変化していた
          魔法を使ったせいだろうか皮膚が焼きただれた後のように腫れ上がっている
          あまりにも痛々しい姿にノルンは思わず顔を歪め回復魔法をかけようとした

            ゴォオオオオオオンッ

          二人は音のした方向を見つめる、そこには魔物と化したシオンが
          ブリューナにとどめを刺している姿があった
         「ぅ・・ぁ・・・ああ・・ぐっ・・」

          シオンは力に支配されてもかろうじて自我を保っていた
          だがそれも長くは続きそうに無く暴走した力は空間を歪め大地を切り裂いた
         「・・シオン・・」

          アスタロトは暗黒の炎に包まれ朽ちてゆく、力の暴走は止まらない
          シオンはヴァンスを見て一瞬動きを止める
         「ぁがぁ・・ヴァ・・ン・・ス・・ぐがぁ・・っ・・」
         「・・分かった・・」

          ヴァンスは剣に蒼黒い炎をまとわせ、シオンに斬りかかる
          シオンの力でブレス・ベルクが作り出され
          その場に居る全ての生き物に襲い掛かる
          ヴァンスはブレス・ベルクの攻撃をかわし蒼黒い炎がシオンを包み込む



               「・・私たちは・・このままで・・良いのだろうか?」



            ザァンッ

          時が止まったかのように聞こえて来るのはただ剣の振り下ろされる音と
          血が滴る音だけ
         「・・ノ・・ルン・・」

          シオンは人の姿に戻り、その場に崩れ落ちるとノルンの姿を探す

         『・・結局あの時の問いには・・答えが出せなかったな・・』

          ヴァンスは朽ちゆくシオン、アスタロトやヌゥエたちのほうに目を向ける
          アスタロトは影だけを残し姿が見えないヌゥエやブレス・ベルクたちも姿が見えない
          ノルンはシオンの元へ駆け寄り手を握り締める
         「・・ゼィノンっ!」

          シオンは虚ろげにノルンを見つめる
         「・・・・ゎた・・しは・・ゼィ・・ノン・・では・・ない・・」

          ノルンの表情が悲しみで歪む、シオンの体は足先から灰になり
          大気に溶け込んでいくヴァンスはその様子をただ黙って見つめている
         「・・ゼィ・・ノンは・・死んだ・・」

          ノルンの頬を雫が伝いシオンの頬に落ちる
          シオンは消えかけている手を伸ばしノルンの頬を伝う雫を拭い消えてゆく



              『・・私は・・またノルンを悲しませて・・しまったな・・』



          先ほどまでの激しい戦いが幻であったかのように辺りは静寂に支配される
          天空を覆っていたヌゥエたちも、魂を啜るブレス・ベルクたちも
          光の神々の王ブリューナも、闇の神々の王アスタロトも
          魔道生物として復活した兵器シオンも
          全てが無に還った

          この場に残っているのは
          ただ一人生き残った人間ノルン
          魔道生物であるヴァンス
          そして裂けた大地と歪んだ空間、多くの死
          これが【絶望】の成れの果て


         「・・なん・・で・・?」

          ノルンは涙を流し震えている
         「・・何で・・何のために・・戦ってっ・・」

          ヴァンスは痛む腕をかばい未だ暴走しそうになる力を抑えながら
          ノルンの肩に手を伸ばす

             ゴゴゴゴゴゴゴッ

          突然大きな揺れに襲われる
          辺りを見回すと歪んでいた空間が裂け闇が浸食し始めた
          足場となっていた雲も飲まれノルンはヴァンスに抱えられて上空を舞う
         「っ・・ぅ・・は・・ぁ・・」

          ヴァンスの内で未だに暴走しようとする力の影響か
          先ほどは存在しなかった黒く魔物のような大きな翼を作り出していた
          上空から世界全土を見渡す

          歪んだ空間は全てを飲み込んでゆく
          焼け落ちた魔城も、壊れ果てた聖殿も、おびただしい数の遺体も
          怒りも、悲しみも、絶望も
          幸福であった日々さえも全てが飲み込まれて壊される
          この大地と共に


              「・・ダメ・・消さないで・・私たちが・・生きた証を・・消さないでっ!」


          その時ノルンの体が光り輝きヴァンスの腕をすり抜け宙に浮く
          背中には翡翠色の美しい翼を羽ばたかせていた
         「・・消させない・・私が・・守ってみせるから・・」

          ノルンはヴァンスを振り返り悲しげに微笑む
         「・・ヴァンス・・」

          まるで最期の言葉を交わすかのように美しく悲しい笑顔
         「・・・・止めても・・無駄・・なんだな・・」

          ノルンはヴァンスの瞳を見つめて小さく頷く
         「・・・力を貸してっ・・この世界を・・私たちの生きた証を・・守るためにっ!」

          ヴァンスはため息をつきノルンの手を取って
          残っていた全ての力を解放する
          強大な力は暴走することなくノルンの体へと流れ込み
          二人は翡翠色の光に包まれる光は次第に強くなり
          消え行く空を、大地をやさしく包み込む
          ノルンがヴァンスの魔物と化した左腕を手でやさしく覆うと
          翡翠色に輝く腕輪が現れた
          ヴァンスの傷だらけの体を癒し人の姿に戻してゆく、やさしい光
          ノルンの体が光に溶け込み大地に注ぐ


                  「・・ヴァンス・・大好きだよ・・ありがとう・・」



          長かった夜が明け焼けただれた大地に腰掛ける
          空は雲ひとつ無い青空
          草木一つ無かった大地には小さな樹の苗が力強く根を張る
          この世界に存在する生命は小さな苗木と生き残った神だけ


                「・・この世界に神は必要ない・・」





           ――穏やかな昼下がり、森の妖精たちは口々に噂をする


         「ねぇ知ってる? あの歌・・」
         「あぁ・・翡翠の涙?」
         「そっ何でも大樹の精霊、ノルン様の歌らしいわよ」

          妖精たちは木漏れ日の中で舞い何処かへ消えてゆく
          大樹の根元にはもう誰も居ない
          翡翠色の腕輪だけが木漏れ日を受けて輝き続けている
          大地に根を張る大樹はやさしい調べを奏でる
          この世界の始まりと終わりの歌を・・

          貴女がくれた最期の言葉は
          今もこの場所に響き続けている
          「哀しまないで」とやさしい夜が囁く
          翡翠の雫が大地を癒し生命を育む
          風の歌、大地の息吹、翡翠色の月
          その全てに貴女を感じる・・
          いつでもこの想いだけは
          貴女へと繋がっているから
          折れた翼を癒して飛び立とう
          再び出会えると信じて・・



          精霊の歌が静まり妖精や聖獣たちが次々その場を後にして静けさに包まれる
          木漏れ日の中から小さな生き物がゆっくりと顔を見せた
          二本の尾を揺らし日の光を浴びて翡翠色に輝く狐
          不思議そうな表情で大樹と腕輪を見つめて森を後にする